犬島
最寄りの豊島からはフェリーで25分ほど、犬島は岡山市からわずか2.2km沖合に浮かぶ、周囲4kmほどの小さな島です。
古くから良質の花こう岩がとれるため、採石業が発達し、日本各地の城の石垣や港湾建設用の石を産出していました。現在の犬島には湖沼や洞窟が多くあるのですが、その理由は地形が変わってしまうほどに多くの石を切り出したためであり、犬島本来の形は今では謎に包まれています。
明治の時代になると金属精錬所がつくられ、一時は4000~5000人ほどが生活していました。しかし煙害や他企業との競争に負けたことが原因で精錬所は停止し、人口は減ってゆき、現在では人口は50人ほどしかいません。
実はこの旧精錬所は医療廃棄物処分場になる可能性がありました。それを聞きつけたベネッセが、豊島の二の舞になることを防ぎたく、2001年、ベネッセが島の再生を目的に「犬島アートプロジェクト」を打ち出し、廃墟と化していた精錬所を購入しました。
紆余曲折あった精錬所は2008年に「犬島精錬所美術館」として生まれ変わりました。かつて有毒な煙で汚染をまき散らした負の記憶を持ちながらも、新たに自然エネルギーとアートによって未来を創っていくことが、この美術館のコンセプトです。設計を担当したのは直島の公民館「直島ホール」も手掛けた建築家、三分一博志で、三島由紀夫をテーマにした柳幸典の作品が展示されています。
古くから良質の花こう岩がとれるため、採石業が発達し、日本各地の城の石垣や港湾建設用の石を産出していました。現在の犬島には湖沼や洞窟が多くあるのですが、その理由は地形が変わってしまうほどに多くの石を切り出したためであり、犬島本来の形は今では謎に包まれています。
明治の時代になると金属精錬所がつくられ、一時は4000~5000人ほどが生活していました。しかし煙害や他企業との競争に負けたことが原因で精錬所は停止し、人口は減ってゆき、現在では人口は50人ほどしかいません。
実はこの旧精錬所は医療廃棄物処分場になる可能性がありました。それを聞きつけたベネッセが、豊島の二の舞になることを防ぎたく、2001年、ベネッセが島の再生を目的に「犬島アートプロジェクト」を打ち出し、廃墟と化していた精錬所を購入しました。
紆余曲折あった精錬所は2008年に「犬島精錬所美術館」として生まれ変わりました。かつて有毒な煙で汚染をまき散らした負の記憶を持ちながらも、新たに自然エネルギーとアートによって未来を創っていくことが、この美術館のコンセプトです。設計を担当したのは直島の公民館「直島ホール」も手掛けた建築家、三分一博志で、三島由紀夫をテーマにした柳幸典の作品が展示されています。
また、集落では直島同様「犬島家プロジェクト」というアート事業の一環で新進気鋭のアーティストたちが手がけた作品を見ることができます。直島とはまた違う角度から島の風景を活かす工夫をしていますので、是非表現の違いを楽しんでみてください。