瀬戸内海

世界有数の多島海である瀬戸内海は、本州、四国そして九州に囲まれた日本最大の内海であり、約700の島と総延長7,230kmに及ぶ海岸線を有しています。東西がおよそ450km、南北が最大55kmで平均水深が38mと、全体の大きさに比べて、非常に浅い海であることがわかります。
瀬戸内海の歴史は、奈良や京都の歴史と共に発展していきました。中国からの文化は常に九州から瀬戸内海を通り、奈良・京都に伝えられたからです。当時の交易手段は専ら船でしたので、瀬戸内海に面する土地や島々には自然と港ができ、人の往来が活発になっていきました。


その証拠に瀬戸内海の自然海岸線は約37%と、約53%ある日本全体の自然海岸線に比べて低いことがわかります。これは昭和の工業化の波に押されての結果であることも確かですが、それ以上に昔から人の往来が活発であり、あちこちに港や塩田、農地が整地されたためです。

しかしながら瀬戸内海の港や島々が栄えた理由はこれだけではありません。これには瀬戸内海独自の「潮待ち」「風待ち」の文化が関係しています。
エンジンなどの動力がなかった時代、船は自然の力に常に左右されていました。船乗りたちは、船を進めるのに最適な潮と風の流れを港で待っていました。これが「潮待ち」「風待ち」と呼ばれる文化です。なお、潮の流れは約6時間ほどで変わるので、だいたい船でその時間で進める距離に港があります。有名なのが牛窓、御手洗、鞆の浦(とものうら)です。
また、江戸時代には瀬戸内海の船の交流が最盛期を迎えました。日本中から船乗りたちが「潮待ち」「風待ち」のために港や島に集まることで、食事処や宿泊施設、商店が増えていき、結果として当時の最先端が瀬戸内海に集まることになったのです。


しかし、航海技術の発展とエンジンの付きの船の登場で、これらの港や島々は次第に廃れるようになりました。それでもこの美しい海と町並み、そして自然を活かそうとする活動はあります。その端緒が直島です。ベネッセ(日本の企業)が主導となり、島を現代美術によって再生する運動が始まりました。安藤忠雄やウォルター・デ・マリアといったアーティストがこの運動に賛同し、今では日本だけではなく、世界中から注目を集める島となりました。直島だけではありません。瀬戸内海に浮かぶ島々や港がそれぞれ魅力を発信し、世界中から注目の的となっています。



個性豊かな島と港が多くある瀬戸内海。もちろんフェリーや車で巡ることもできますが、ヨットで巡るという選択肢もあります。南北を山に囲まれているので雨があまり降らず、海も常に穏やかなので、ヨットクルージングするのに絶好の場所だといえるでしょう。
Japan Yacht Experienceは決められたルートだけを提案することはいたしません。行ってみたいところ、やってみたいことを是非お教えください。海図を書くのはあなた自身です。
 
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